限界大学生の日記

限界大学生の拙い文章です。お手柔らかにお願いいたします。。

生きる

 初めてのブログのくせにお題のスケールが壮大でなんだか気恥ずかしいが、それ以上にいつか消えてしまうかもしれないこの感覚を残しておきたいという想いがある。

 生きるの反対は死ぬ。私は死を経験したことがある。と言っても、重い病気を患ったとか、交通事故に遭ったとかではない。それは夢で死んだのだ。なんだそりゃと思われるかもしれないが、私は誰よりも夢とは思えないほどリアルな感覚を経験したと断言できる。その理由の一つは、その夢を見たのが今から約14年程前の4歳の時に見た夢だからだ。まあ誰しも忘れられない夢の一つや二つはあるかもしれないが、14年間夢の中での感覚を一切忘れずに鮮明に記憶している方はあまり多くないと思う。

 私が見た夢は、要約すると頭を銃で撃たれるというものだった。周りにいた人達が涙しながら私の名前を叫んでいた。私は痛さを全く感じなかったので、普通に大丈夫だよと応答して体を起こそうとした。だけど、まるで瞬間接着剤を塗りたくられたみたいに目をどれだけ強く開こうとしても開かないし、声もまた同様に、私の抵抗が瞬間接着剤に勝ることはなかった。体もまあ当然動かない。そんな中で聴覚だけは残り続けた。

私は幼すぎるながらも周りの声に答えられない恐怖を味わった。

 そこから数年が経ち、亡くなったら最後に残るのは聴覚ということを知った。すぐにこの夢を思い出したし、私はあの時現実で起きる死と全く同じ経験をしたのかもしれないという恐怖もあった。(とは言っても小学生とかだったので鬼ごっことかしてるうちに恐怖とかは薄れていた笑むしろみんなに自慢げに話したことも数回ある。ついこないだも高校の友達に話したら、鼻くそほじりながら聞いてくれた(嘘)まあこんな冗談を言いながらも、今も残っているあの感覚が本当の死と同じなら結構怖い。なんだか霊肉二元論を信じた哲学者さんたちの気持ちがわかる(それは違うだろ)。怖さ反面、ポジティブに考えると、私は誰よりも身をもって誰かの声に応えられるという尊さを実感できている自負がある。誰かと話せること、会話をめぐらすことは生きてるなあと私が一番感じる瞬間だ。みな一人じゃ生きていけない。

 自分じゃない誰かと話し、そこから学ぶことはたくさんある。なんてったって毎日本を読んでもこの世の全ての本を読破することは不可能だから。なんかよくわかんない終わり方になった。やっぱりこのお題は間違いだったんだな、これもまた学びである。(ちびまる子ちゃんのツッコミナレーターがよぎった)

あー目の前の電子時計が淡々と秒数を進めてる。というか時間ってどうやって決めたんだろ。いつから時間の概念あるんだろ。こんなこと考え出したらきりがない。もう18歳だけど3歳くらいのときある、世の中に対するなんでなんで〜は止まらない。

 生意気にMacBookでこれを書いてるけど私はまだ何も知らないんだろうなあ。てか、これ書くの楽しいしタイピング速くなるし文章書けるようになりそう。

できる限り続けたいなあ。